「は・か・た・の・しお♪」というおなじみのフレーズを聞くと、思わず口ずさんでしまう方も多いはずですよね。
実はこの声の“中の人”のひとりこそ、演歌・歌謡界のニュースター・新浜レオンさんの父親なんです。
最近は紅白歌合戦への出場や、「窓ふきダンス」「レオン語」などでも注目を集める新浜レオンさん。
検索欄に「新浜レオン 父親」と打ち込んで確かめたくなる方も少なくないのではないでしょうか。
この記事では、
- 新浜レオンさんの父・髙城靖雄さんがどんな演歌歌手なのか
- 伝説の「伯方の塩」CMとの関係
- 親子ならではのエピソードや家族の話
- 紅白初出場までの“親子の物語”
といったポイントを、ネット上の情報をもとに整理しながら分かりやすくまとめていきます!
新浜レオンの父親は誰?
「伯方の塩」CMソングで全国区に
新浜レオンさんの父親は、演歌歌手の髙城靖雄(たかじょう やすお)さんです。
髙城さんは1990年代半ばから「伯方の塩」のテレビCMに出演し、「は・か・た・の・しお!」と力強く叫ぶサウンドロゴを担当していたことで知られています。
「塩の人」として認識されるほどインパクトのある仕事で、当時はどこへ行っても「塩屋さんですか?」と声をかけられた、というエピソードも紹介されていますwww
レオンさん自身も、バラエティやラジオで父のことを紹介する際に、
「父は『は・か・た・の・しお』を歌っている歌手です」と話していて、親子そろって“伯方の塩ファミリー”と言ってよさそうな存在です。
髙城靖雄のプロフィール

髙城靖雄さんは、岩手県九戸郡洋野町(旧・種市町)の出身。
昭和33年(1958年)8月10日生まれで、身長178cm、血液型はAB型と公表されています。
高校卒業後に上京し、千葉商科大学を卒業。ヒットメーカー・荒木とよひささんの一番弟子として修業し、1987年には「水原達矢」名義で「日本海’88」でメジャーデビューしました。
その後、「新宿音楽祭新人賞」「全日本有線放送新人賞」などを受賞し、1995年に現在の芸名・髙城靖雄に戻して再スタート。
1996年には「伯方の塩」イメージキャラクターとして全国放送のCMに起用され、一気に全国区の顔となりました。
代表曲と現在の活動
髙城靖雄さんは、デビュー以来40年以上にわたって第一線で歌い続けているベテラン歌手です。
主な代表作としては、
- 「日本海’88」
- 「倖せまわり道」
- 「南部がふるさと」
- 「居酒屋『故郷』」
- 「酒と」
- 「北の龍神」
などが挙げられます。
最近では、シングル「北の龍神」などで歌手生活40年を超えてなお新境地に挑んでいることが紹介されていて、地方キャンペーンやディナーショーなど、いまも精力的に全国を回っている現役バリバリの歌い手です。
2010年代には『笑っていいとも!』に「“あのCMの声”の人」として出演し、伯方の塩の歌声の主として改めて注目を浴びたこともありました。
新浜レオンが野球少年から歌手になるまで
小2から高3まで野球一筋のキャッチャー
今でこそ“演歌・歌謡界のプリンス”というイメージが定着している新浜レオンさんですが、子どもの頃の夢はプロ野球選手でした。
千葉県白井市で生まれ育ち、小学校2年生から高校3年生まで、ずっと野球一筋。
ポジションはキャッチャーで、高校では強豪・千葉英和高校の主将も務め、千葉県大会ベスト4まで進んだという本気の球児です。
当時の体型は、いかにも“ガッチリしたキャッチャー型”で、デビュー後のスラっとした印象しか知らない人からするとギャップがかなりあります。
甲子園の夢が潰え、見えてきた「歌手」という選択肢
しかし、高校最後の夏で甲子園出場をあと一歩のところで逃し、「プロ野球選手になる」という夢は断念することになります。
大学進学を決めたレオンさんは、「もう野球はやらない」と家族に宣言。
そこで改めて考えたのが、「歌手として家族を支えてきた父はどんな仕事をしているのか」ということでした。
もともと車の中では演歌が流れ、テレビをつければ歌謡番組という家庭環境。
本人も「根っから演歌・歌謡曲が好きだった」と話していて、野球をやめたタイミングで、その“原点”に戻った形になります。
父のカバン持ちから、令和元年デビューへ
大学在学中のレオンさんは、髙城靖雄さんの現場に“カバン持ち”として同行するようになります。
そこで目にしたのは、華やかなステージとは別の、ディレクターから厳しいダメ出しを受けながらも歌い続ける父の姿でした。
家では弱音をほとんど見せない父が、仕事場では必死にくらいついている。
その背中を見て、「父を一人の男として尊敬するようになり、同じ歌手の道に進もう」と決意したと語っています。
同じ頃、レオンさんは大東文化大学の「ミスター大東コンテスト2017」で『青春時代』を歌いながら客席を練り歩き、グランプリを獲得。
観客の反応を肌で感じたことで、「若い世代にも歌謡曲の魅力を伝えたい」という思いが一気に強くなります。
その後は音楽レーベル各社にデモテープを持ち込み、演歌・歌謡歌手がほとんどいなかったB ZONE(旧ビーイング)にも果敢にアタック。
そこで才能が認められ、2019年5月1日、令和改元初日に「離さない 離さない」でデビューを果たしました。
親子ならではの伯方の塩エピソード
新浜レオンさんがラジオ番組で明かして話題になったのが、「家中、塩だらけなんです」という一言です。
伯方の塩のイメージキャラクターを長年務めてきた髙城靖雄さんは、自宅にも伯方の塩を大量に常備しているそうで、キッチンはもちろん、脱衣所にも袋や容器が置かれているというエピソードが紹介されています。
さらに、髙城さんは伯方の塩を溶かした冷水を毎日浴びるのが日課で、健康維持のための“塩シャワー”を欠かさないという話もあります。
レオンさん自身も、冗談交じりに「実家は塩だらけ」と話していて、親子そろって“塩キャラ”を受け入れて楽しんでいる様子がうかがえますw
新浜レオンと父・髙城靖雄の「似ているところ」「違うところ」
声量と根性は「応援団長」の父ゆずり
インタビューでは、髙城靖雄さんが若い頃、応援団長として声を張り上げていた経験があることも紹介されています。
甲子園を目指して毎日声を出し続けていたレオンさんと、応援団長として鍛えた父。
親子そろって“声で勝負してきた人生”と言っても大げさではありません。
実際、新浜レオンさんのライブやテレビ出演を見ていると、マイク越しでも分かるパンチのある声量と、最後まで落ちないスタミナが印象的です。
そこには、父ゆずりの肺活量と、野球で鍛えた根性がしっかり息づいているように感じられます。
ステージングは「令和のプリンス」らしいポップさ
一方で、ステージングやビジュアル面では、父と息子でカラーが少し違います。
髙城靖雄さんが、正統派演歌歌手らしい渋い世界観を貫いているのに対し、
新浜レオンさんは身長180cmの長身と爽やかな笑顔を生かした“アイドル性の高い歌謡スター”という立ち位置。
大学時代に「ミスター大東」のグランプリを獲得した経歴からも、その華やかさが伝わってきます。
サンリオのキャラクター「れおすけ」とコラボしたり、「窓ふきダンス」や“レオン語”でSNSを盛り上げたりと、若い世代と自然につながるポップさは、まさに新時代の演歌・歌謡スターといった雰囲気です。
共通の憧れは西城秀樹
親子の共通点としてよく挙げられるのが、西城秀樹さんへの強い憧れです。
髙城靖雄さん自身がデビュー当時から西城秀樹さんに憧れていて、その影響でレオンさんも幼い頃から西城秀樹さんの曲に親しんでいたといいます。
新浜レオンさんが話題になった楽曲「捕まえて、今夜。」の“窓ふきダンス”も、西城秀樹さんのダンスパフォーマンスがヒントになっていると語られていて、親子二代にわたるリスペクトが、現在のパフォーマンスにも色濃く反映されている形です。
新浜レオンの家族構成と母親・兄弟とのエピソード
母親は料理教室の先生
新浜レオンさんの家族は、両親と姉、弟の5人家族です。
母親は料理教室の先生をしていて、高校時代にはご飯2合分のお弁当を毎日作ってくれていたという話もあります。
部活漬けの生活を支えた、まさに“胃袋のサポーター”だったわけですね。
母方の実家は千葉県白井市の梨園で、レオンさんは小さい頃から梨を食べて育ち、高校時代のあだ名が「梨男」だったという可愛らしいエピソードまで残っています。
“一番のファン”は父ではなく母?
歌手になることを決意した当初、母親は業界の厳しさを知っているだけに大反対だったといいます。
しかし、レオンさんが地道なキャンペーン活動を続けてファンを増やし、日本レコード大賞の新人賞を受賞する頃には、誰よりも熱心に応援してくれる存在に。
最近では、「一番のファンは父ではなく母かもしれない」と言われるほど、ステージやテレビ出演を喜んで見守っているようです。
姉や弟もコンサートやキャンペーンに足を運び、SNSで情報をシェアするなど、家族ぐるみでバックアップしている様子がうかがえます。
紅白初出場で叶えた“親孝行”と、これからの親子の夢
父が思わず封印させようとした「紅白」という言葉
2024年の『第75回NHK紅白歌合戦』で、新浜レオンさんは念願の初出場を果たしました。
披露した「全てあげよう」は、所ジョージさん作詞・作曲、木梨憲武さんプロデュースという豪華な布陣。
膝スライディングの“膝スラ”パフォーマンスも話題になりました。
実はこの「紅白」には、親子ならではのドラマがあります。
かつて髙城靖雄さん自身も紅白出場を夢見ていましたが、現実の壁は高く、
「紅白は夢の世界だから、あまり口にしない方がいい」
と息子に伝えたことがあったそうです。
ところがレオンさんは、
「自分は紅白に向かっていくし、これからもずっと“紅白”という言葉を言い続ける」
と強い意志で言い返したといいます。
その数年後、本当に紅白初出場が決まった際、レオンさんからの電話で報告を受けた髙城さんは、思わず涙が出そうになるほど感激したと語っています。
2年連続出場へ、親子でかなえるもう一つの夢
2025年も2年連続で紅白出場を決めた新浜レオンさんについて、「父・髙城靖雄さんの“悲願”を息子が叶えた」という記事もありました。
自分が届かなかったステージに、息子が立つ。
きっと髙城さんにとって、これ以上ない“親孝行”になっているはずです。
一方で、レオンさんにとっては、紅白出場がゴールではなく通過点。
「世代やジャンルの垣根を越えて愛される歌手になりたい」と語っていて、その根っこには、長年演歌の世界で歌い続けてきた父の背中があるように感じられます。

まとめ 新浜レオンを語るうえで欠かせない「父・髙城靖雄」の存在
ここまで、新浜レオンさんの父親・髙城靖雄さんについて、
- 「伯方の塩」CMソングで知られるベテラン演歌歌手であること
- 岩手生まれ・千葉育ちで、40年以上歌手として走り続けてきたこと
- 家中が塩だらけというユニークな日常と、“塩シャワー”の健康法
- 野球少年だったレオンさんが、父のカバン持ちを経て歌手になった経緯
- 母や兄弟を含めた家族全員で、いまの新浜レオンを支えていること
- 紅白初出場・2年連続出場という形で、親子の夢がつながったこと
といったポイントを見てきました。
テレビではどうしても“令和のプリンス”“膝スラの人”といったキャッチーな部分に注目が集まりがちですが、その裏側には、「伯方の塩」の歌声で全国に響いた父の存在と、地道に歌い続けてきた家族の歴史があります。
これから新浜レオンさんの歌を聴くとき、
その背中にはいつも“塩の男・髙城靖雄”の影がある――。
そう思いながら耳を傾けると、また一段と歌の味わいが深く感じられるはずです。
